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私は高校を卒業後、愛媛県新居浜市在住の彫刻家 秦浩三郎氏

より手ほどきを受けたが、氏の教えは明治の初めに西洋から

輸入された洋風彫刻で古く日本で行ってきた「彫り物」の概念が

色濃く残っていた。

 

その後上京し太平洋美術会研究所で「ヨーロッパアカデミズム彫刻」の教育を受ける事になった。

 

1968年 私は日本大学芸術学部に入学 同年5月19日に全共闘の

学生が乱入し、学内をバリケード封鎖した。

 

そこで私が見たのは過激派といわれる学生と現代美術であった。

ヨゼフ・ボイス アンソニー・カロ ポップアート等

それらは全共闘運動と共に十分刺激的であった。

 

私の作品は、子供のころに作った「彫り物」からヨーロッパアカデミズム彫刻ロダンの流れをくむ作品 物語性のある「モノ派」といわれた作品まであるが、いつも変容する彫刻の概念の最後尾を追い続けてきたようにも思える。

 

戦後まもなく生まれ人生70年を過ぎてみると、自分は地球の向こうのヨーロッパ大陸の造形思考を泳ぎ、大西洋を越えてアメリカへ渡り、その後九十九里浜に漂着したようなおもむきである。

 

そして今 自宅の竹林の中で自身の時空の旅に思いを巡らせている。

  

  -彫刻に挑む-

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